100年の時が流れる家で過ごす、土曜日の朝。


news ※過去のメディア掲載実績はこちら
2021.08.14 完成披露宴 原敬氏来邸から100周年
2022.04.02 #sakenoma 盛岡材木町「よ市」にて出店開始
2023.01.20 株式会社平六醸造 設立
2023.03.08 #メディア掲載 紫波町広報紙「しわねっと」3月号掲載
2023.04.08 #平六醸造 クラウドファンディング募集終了10,511,490円(当初目標比420%)
2023.05.31 #サポーター 登録者数1400名突破
2023.06.02 #はたけ部 発足
2023.10.14 #イベント 朝開放 with 日詰さんさん朝市
日詰平井邸|公式オンラインストア
「ミセ」が公開されました
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平井家の所有する近代和風建築「平井邸」は、12代当主平井六右衛門によって大正10年に完成しました。新築祝の披露宴は同年8月14日に催され、当時の首相である原敬も出席したことが『原敬日記』に記されています。
紫波町日詰商店街の南端に構える建物は、街道に面した主屋1階の店舗や通り土間は伝統的な町家構造である一方で、ガラス窓を多用した外観や2階の大広間、トラス構造を導入し浅瓦と鉄板を組み合わせた変化に富む屋根など、伝統的な構造の中に近代的意匠と技術が随所に導入されています。敷地内には、土蔵とともにレンガ造の蔵や敷地を囲う長大なレンガ塀などが一体的に残っており近代初頭の当地における防火意識の高まりを読み取ることができます。
その来歴は紫波町の地域性や経済活動とも深い関わりをもち、寛文年間に盛岡藩から八戸藩が成立すると、米産地である志和4ヶ村は飛び地として八戸領となりました。平井家が当時名乗っていた伊勢屋は、江戸へ移出される志和産米の保管と移送を行う八戸藩御蔵宿に指定され、御蔵宿制度の廃止までその任にあたりました。業務は廻米関係の文書収受、代官所や御蔵との連絡調整をはじめ、船頭の連絡手配など多岐に及びました。併せて、士分相手の宿屋、明和年間からは醸造業も営み近代以降はこれを主生業とし域内の杜氏を雇い入れました。杜氏たちは年越しに地域の鎮守である志賀理和氣神社へ「裸参り」をして精進潔斎し酒造成就を祈願したと伝えられております。
南部杜氏の拠点としての紫波の産業と民俗、北上川舟運や街道の中継点であった紫波の交通環境、八戸藩の飛び地を内包した政治史、これら近世から近代の多様な歴史的背景を今に伝える平井家住宅は、町内の歴史文化の結節点となりうる文化財といえます。